おさらい
性教育の歴史を1970年ぐらいから2000年ぐらいまで追ってきました。簡単に振り返っておくと、以下のようなことが1990年代の「ムード」でした。
- 1992年 性教育元年 といわれるように小学生から「性」を教えることになった(HIV/AIDSパニックへの教訓として)
- 1997年 男女共同参画審議会が恒久的に設置される。保守派政治家が性教育のバックラッシュを進める
- 2003年 七生養護学校事件が起こる(性教育バッシングの象徴的な事件)
ここであらためて、みなさんに覚えておいてほしいことは、「教育」は「政局」に大きく左右される、ということです。逆に言えば、「政局がどうなろうと、変わらない知力を身につけておきたい」ですね。
七生養護学校事件発生
2003年7月2日に東京都都議会で、ある議員K(故人)が「最近の性教育は、口に出す、文字に書くことがはばかれるほど、内容が先鋭化している」と都立七生養護学校の性教育自主教材「からだのうた」を取り上げ問題にしました。おりしも、その時の東京都知事は石原慎太郎(故人)氏。国歌斉唱や国旗掲揚と起立を求める通知を出すなど、都教委も教育の現場も極右化を迫られた時代でした。
そして、7月4日、自民党都議2人、区議や市議、さらには産経新聞、都教委の指導主事も同行。七生養護学校の性教育の授業を「視察」し、保健室に入り、養護教諭に詰問し、恫喝します。
その後、2003年9月11日、同校の116名が大量処分されました。継続的な行政の介入もあり、3年後には当時の教員がほとんどいなくなるという異常事態になったのです。
参考:「性教育はどうして必要なんだろう?」(浅井春夫共著 大月書店 )
いま思えば、都議Kがどのように、七生養護学校の性教育の内容や教材について「情報収集」したのか、なぜ「養護学校」なのか、なぜ都議会での報告から2日という短時間にもかかわらず、多くの関係者とマスコミが同校に押しかけたのか、などなど疑問に思うことは多々あります。
おそらく、情報提供者の存在や、長きにわたる関係者への根回し、事前の算段をすでにしていたのではないかと思うぐらい用意周到な「視察」ではなかったでしょうか。
七生養護学校事件から「こころとからだの学習」裁判へ
こうした弾圧・抑圧ともいえる動きに、七生養護学校の教員たちはただ手をこまねいているだけではありませんでした。保護者、市民、教育研究団体などと連携し、東京弁護士会に人権救済の申し立てを行いました。
それを受け、東京弁護士会は2005年1月24日に、東京都教育委員会に宛てて、七生養護学校の性教育に対する処分に関して警告書を出します。そうして、同年5月12日に保護者2名を含む31名が原告となって、東京都、都教委、都議3人(都議Kを含む)、産経新聞を被告として、訴えを行います。
これがいわゆる「こころとからだの学習」裁判です。細かな内容(争点や主義主張など)は、裁判所の文書や司法に詳しい方のまとめページをご覧いただきたいのですが、ここでは簡単にまとめます。
高等裁判所は「指導要領」が法規であることを認めながらも、最低限でなくてはならないとし、指導要領に書かれていないことを現場の教員たちが創意工夫をしながら正しく教育を実践していくことを、都教委が躊躇させたり阻害することがあってはならない、としています。
<<参考サイト>>
「こころとからだの学習」裁判支援サイト
比較ジェンダー史研究会【法学8】(判例)七生養護学校事件(性教育)
七生養護学校の教育に対する不当介入事件〜都議・東京都に対し賠償を命じた判決が確定〜(三多摩法律事務所)
都議・都への賠償命令確定(しんぶん赤旗)
■性教育はパラダイムシフト。都議K再度告発するも不発。
最高裁が上告棄却したのは、ちょうど事件が発生してから10年経っていました。その間に「世界」と「一部の日本」では性教育が進みます。
2018年3月16日の都議会文教委員会で七生養護学校事件の被告であった都議Kが足立区立の中学校を実名で名指しし、不適切な教育が行われていると告発しました。これを都教委は冷静に受け止めて、課題があることを認め、区教委と連携して検証するほか、きちんと指導していくということで答弁を終えています。
それを受けて、当該校の生徒や保護者に調査したところ、おおむね理解を得られているとのことで、大きな問題もなく、この告発は不発に終わりました。
■自民党政権と関連団体、宗教団体が、性教育に落とす暗い影
さて、次は政治の方面から性教育への影響を見ていきます。かなり難しい問題ですので、あまり深追いせずに、事実と多少の推論だけにとどめておきましょう。
2000年から2005年ぐらいが性教育バックラッシュ、ジェンダーフリーバックラッシュが強かった時代です。その中で、七生養護学校事件は起きました。
いっぽう、都政国政レベルでは、大きく2つのことが起きます。
- 2004年東京都教育委員会が「性教育の手引き」を改定し”性交、コンドームを教えない”ことに。
- 2005年「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」発足。
あれ?
性教育って、HIV/AIDSパニックを受けて「性交やコンドームなどの避妊具について」も教えることに重点をおいてなかった?と思ったあなた。
正しいです。
加えて、2) のチームの座長は安倍晋三氏(故人)で、事務局長に山谷えり子氏を据えていました。
なお、同氏は国会で性教育の小冊子「思春期のためのラブ&ボディ」をとりあげて性交を教えるものと批判。全国の中学校からそれを回収するという暴挙に出ます。
こうした保守派の議員たちは「日本会議」とともに力を強くするとともに、いっぽうで、宗教団体との関係も見え隠れします。
保守派政治家たちの主張は、「ジェンダーフリー」を「フリーセックスと同じ意味」と曲解していたり、”雌雄同体のカタツムリ化を目指す共産主義の革命戦略”だと喧伝していたりしたのです。
参考:ダイヤモンド・オンライン「政治家のジェンダー意識改革を止めた?2000年代の「バックラッシュ」とは」2021.3.5 付
2005年5月26日には八木秀次氏らのパネリストに迎え、萩生田光一氏を責任者とする「過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウム&展示会」を開催。そのなかで、都議Kが七生養護学校の性教育授業が中止になるまでの経緯を報告したそうです。
2022年8月現在、安倍晋三氏(故人)や萩生田光一氏が中心となり、自民党と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係が世間を賑わせていますが、以下のような「言い分」は、なんとなく旧統一教会の「教義の影響」を受けていえるといえるかもしれません。
もちろん、政治団体の「勝共連合」も同様に影響を与えていたのかもしれません。
- 2005年 第二次男女共同参画基本計画のなかで「ジェンダーフリー」を使わないと明記
- 2006年2月 文部科学省が「ジェンダーフリー」という用語を使わないよう通達
- 2008年2月「ジェンダー」という用語を事実上認めないと通達
その結果、文部科学省は義務教育の教科書全てにジェンダーを書かせない検定をしてきたのです。
2006年から発足した第二次安倍政権は、憲政史上最長の政権となりました。ですが、”親学”を推し進め、”親学推進議連”などを安倍晋三、下村博文、高橋史朗を中心として結成するなど、水面下での「愛国教育」「右傾化」を進めました。
2017年3月小中学校に、2018年3月高等学校に告示された「新学習指導要領」には、LGBTをまったく記載しなかったのです。
■反発する文部科学省
まずは、事実を列挙します。
- 2010年 性同一性障害に係る対応や調査・公表
- 2015年「性的マイノリティの子どもへの配慮」に配慮する通知
- 2016年「教職員向けの手引き書」を改正
- 2017年「いじめ防止法」を改正しLGBT対応をもりこむ*
2010年以降、民主党政権の影響かどうかはわかりませんが、文部科学省の対応は「右傾化」に反発していたようにも見えます。もちろん、のちに紹介する「国連」の動きに大きく遅れていた日本は幾度もの勧告を受けます。
ですが、その度に通知が繰り返され、学習指導要領が改定されるなど、「性」をめぐる教育が日本では迷走、あるいは3歩進んで2歩下がるような状況を15年も続けることになるのです。
*は立法のため国会にて成立
■間違いが炎上、そして「性教育の空白の15年」が埋まる
2015年文部科学省が出した高校生向けの「健康な性を送るために」という小冊子に、女性の妊娠のしやすさと年齢の相関グラフが掲載されていました。そのグラフは「22才をピークとした、折れ線グラフ」だったのです。
参照:Yahoo!ニュース 文科省「22歳をピークに女性の妊娠のしやすさが低下」のグラフ、元論文と食い違い?
少しでも妊娠に関心のある方ならお分かりの通り、明らかに間違いで、差別的なグラフであるとSNSを中心に炎上。文部科学省は謝罪を余儀なくされました。
こうして、文部科学省が「性教育について正しい知識を持たないこと」を露呈してしまったのです。
いっぽうで、国連関連団体からの勧告もあり、2019年3月28日「性教育の手引き」が15年ぶりに改定されました。ポイントは大きく二つです。
- 小中高と体系立てて指導の系統性・関連性を重視
- 性情報の氾濫や性感染症への対応、性同一性障害に関する正しい理解等、現代的な課題に対応
筆者がみても、まだまだ国際的には差がありますが、性教育がかなり前進する可能性を期待できる内容であると思います。
そして、2021年4月16日。文部科学省が「子どもや若者を性暴力の当事者にしないための『生命(いのち)の安全教育』の教材等について」の通知を出します。これは、「性教育の手引き」にはなかった「幼児も性犯罪の対象になりうる」として、幼児(就学前の教育・保育)をも対象とした、安全対策についての告知となっています。
参考:ダイヤモンド・オンライン「文科省が進める「生命の安全教育」、性教育と言えないのはなぜ?」2021.7.9
とはいえ、まだまだ問題があるのは事実。
次回は、海外と比べて日本がどのくらい遅れているのかをご紹介します。